大学時代に出会った本
2024.10.1
MAKINO
20歳前後は、今後どのような人生を歩んでいくのか不安になる時期だと思う。自分の将来を具体的に考え始めた20歳のころ、『わたしの生きがい論~人生に目的があるか』(梅棹忠夫)という本に出合った。これはわたしの人生に最も大きな影響を与えた一冊になった。
大学図書館で見つけたこの本には、思いもよらなかったことが最初から最後まで数多く書かれていた。わたしは目を開かれる思いで本を読み進めた。現在に至るまで何度読み返したかわからないが、今も読むたびに新鮮な感動を覚える。
印象に残る文章はあまりに多いが、その一部を抜き出してみる。
・人生のもろもろのいとなみのなかで、これはたしかに意味があるといえるようなものが、なにか存在するでしょうか。人生における意味なんて、どうせ相対的なものであって、これだけは絶対的だなどといえるものがあるわけはない。
・明治以来あるいは明治以前から、百数十年にわたってわれわれの先祖、われわれ自身をもふくめて、日本の国民は営々としてはたらいてきた。一生懸命はたらいて、その結果、まさにその労働自体がバカらしくなるような、そういう社会をつくりあげてしまったんだということです。
・組織というのは本質的に暴力です。国家をもふくめて、全部暴力機構です。組織とは、その構成員個人のひそやかなるたのしみを犠牲にすることを強制するものです。組織に所属するということは、どこかでひじょうにおおきな内面的犠牲をはらわなければならない。そういう意味で、これは暴力です。
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大学を卒業して、わたしは日本のIT企業に就職した。当時1980年代の日本はIT産業の草創期にあたり、大企業から中小企業まで、どこもかしこもコンピュータを業務に取り入れようとしていた。コンピュータを導入して活用するためにはITエンジニアが必要であり、多数のITエンジニアを有するIT企業が全国各地に設立されていった。それにともない、大学を卒業した多くの学生が文系・理系を問わずIT企業に就職した。
当時のITエンジニアは、ほんとうに忙しかった。平日は早朝に出勤して深夜まで残業し、土曜や日曜に出勤することも普通だった。昼夜を問わず猛烈に働くことが「立派なビジネスパーソン」だという雰囲気が日本全体を包んでいた。テレビでは「24時間、戦えますか?」という栄養ドリンクのコマーシャルソングが朝から晩まで流れていた。
そのような生活を毎日、毎月、毎年続けていると、「何のために自分は生きているのだろうか?」「何のために働いているのだろうか?」という人生の疑問がわいてくるものだ。精神的にも肉体的にも辛かった当時のわたしをささえてくれたのは、「人生に目的はない」「人生に意味はない」という『わたしの生きがい論』の思想だった。このような考えを知っていたおかげで自分の仕事や社会の風潮を客観的にみることができ、「燃え尽き症候群」にもならずにすんだように思う。
今後、大学を卒業したみなさんは、国外・国内を問わず、さまざまな職場でさまざまな仕事をすることになる。今は「24時間、戦えますか?」などという時代ではないが、みなさんも仕事をしながら自分の生活や人生に疑問をいだくことがあるだろう。心身の不調におちいることがあるかもしれない。そんな時、大学時代に学んだ考え方や思想、哲学が人生の支えとなり、心身のバランスを整えるうえで助けとなれば幸いである。大学時代に出合った思想や考えは、長い人生のなかでかならず役に立つことだろう。